浪人の時、国語の問題に中原中也がありました。
「汚れつちまつた悲しみに」でした。
それを読んだ翌日、文庫本を買いました。
ブレザーの左ポケットに煙草とマッチ、
右ポケットにカバーをした中原中也を忍ばせました。

4年間の学生生活は、彼の全集に浸りました。
今は全く読んでいません。

ところが、度々、彼の言葉が出てくるのです。
今朝、現れたのが「六月の雨」。

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらわれて 消えてゆく

たちあらわれて 消えゆけば
うれいに沈み しとしとと
畠の上に 落ちている
はてしもしれず 落ちている
・・・

中ちゃんの心には、いつも泰子が住みついている。
泰子が結婚して子供が出来ても思い続けている。

なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじゃないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
・・・

中ちゃんは30才の若さで死にました。
もし、70才だったらどうでしょうね?
やはり、心の中には眼うるめる面長き
泰子が住みついていたと私は思います。

これは男側からの、しかも、私の考えであって
女側の、泰子さんはどうだったのでしょうね。
訊かない方がいいですよね・・・。